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    いまだ宮深き牢獄の中

    • 2018.05.03 Thursday
    • 22:00

     

    「イダイケ」問題に取り組む

              釈 惟蓮

     

     

     

    いまだ宮深き牢獄の中―序―

                                                      

     

     イダイケ夫人をご存知ですか?

    お釈迦様在世の折に、お釈迦様を擁護した王にビンバシャラという人がありました。その妻、王妃がイダイケ夫人です。息子アジャセがクーデターを起こし、王を牢に閉じ込め餓死させようとしました。それを助けるためイダイケは、門番の目を欺き牢に食料を運び、王のいのちをつなげ続けました。それを知った息子は激怒し、母に刃を向け殺そうとしたのです。息子は家臣に止められ母を殺すことは思い留まりましたが、イダイケを宮深き牢に入れました。息子が夫を殺すということが、妻であり母である女性にとってどういうことなのか、少し想像してみて下さい。息子に刃を向けられ、殺されそうになるとはどういうことが想像してみて下さい。どのような驚きと悲しみと、恐怖のただ中にあって、救いを求めたのか、少し思いを馳せてみて下さい。最高の権力を持っていて、それを使う男性たち…夫、息子の間にあって、三従を求められる女性がどのような生き方をしていたか少し想像してみて下さい。

     イダイケは「愁憂憔悴(しゅううしょうすい)」「悲泣雨涙(ひきゅううるい)」し,牢から助けを求め、お釈迦様に会った時、自ら瓔珞(ようらく…身につけた飾り物)を引きちぎって「私は何の因縁があって、この悪い子を産んだのか!お釈迦様は何の因縁があってあのアジャセをそそのかしたダイバダッタと身内なのか!」と身をあげて地に投げ出し、号泣して仏に向かって言ったのです。浄土真宗正依のお経の一つである観無量寿経(観経)は、そのイダイケに向かって説かれた仏の教えです。

     

     浄土真宗では、この言葉は古来イダイケの愚痴ととらえられて来ました。それに先立って語られるのがアジャセ出生の秘密でした。「ビンバシャラとイダイケの間にはなかなか子どもが産まれず、王が占い師に占わせると、山に住む仙人が3年後に死んで王の子として生まれ変わると告げられました。王は仙人に死んでくれと頼みましたが断られ、待ちきれず仙人を殺してしまいました。やがてイダイケは身ごもりましたが、再び占い師に占わせると、やがて王を殺す子になると言われました。不安に陥った王は、産まれるときに高楼から産み落とし子どもを殺すことを考えます。イダイケもそれに従い高楼から産み落としましたが、小指を折っただけでいのちが助かり、育てられたのがアジャセです。」という物語です。

     この話を聞くと、まさにイダイケの言葉は愚痴になるから不思議です。二つはセットで語られ、話はイダイケの苦悩からシフトします。その話を聞いたときから、イダイケの苦悩に思いを馳せることをしなくなるのです。そんなことやったのか…、それを忘れて文句を言っているのか…、と、愚痴説に納得してしまうのです。そしてもう一つセットになるのが、自絶瓔珞。この期に及んで身を飾り、体裁を保とうとすることを自ら絶ったということだと解釈されてきたと思います。あなた方もネックレスとかイヤリングとかするでしょう、ああいうものをブチって絶って仏法を聞くんですよと聞いて来たことが耳に残っています。なるほどなるほど、イダイケは凡夫だなぁ….私たちも凡夫だなぁ…。

     でもそこに違う要素があることを教えられたのは、女性の視点で観経を読む会を重ねられた方のお話でした。それは、「瓔珞」を詳しく調べると、当時のインド社会に於いて身分を表すものであり、今現在の女性のアクセサリーとは意味合いの違うものだと、イダイケの引きちぎったものは身分社会の桎梏だったのではないのか?とのお話でした。

    この部分に関しては、善導大師の観経疏を見て驚きました。イダイケがなぜ自ら絶ったのかということについて、王妃だから身の回りのことは人にやってもらっていたから、外し方がわからなかったから…とのこと。正信偈に仏の正意を明らかにしたと謳われ、善導大師の観経解釈は今に至るまでそのまま受け継がれています。イダイケの叫びを愚痴と表現したのも善導大師です。2011年2月に東本願寺出版部から観経では初めて出版されたという「観無量寿経の教え」(四衢亮氏著)もまさに愚痴ととらえ話は展開されています。この中でショッキングなのはイダイケを子殺しの実行犯と断じていることです。(p.74) これはおそらく四衢氏に限ったことではありません。これまですべて,今に至るまで、ほぼすべて男性の視点でお経は読まれて来て、皆それを受けいれ、語り、伝えて来たのです。女性もそれを聞いて納得してきました。なぜなら女性という性に「自ら」観無量寿経を読み解くだけの機会が訪れなかったから、それが女性の置かれた境遇だったというわけです。

    これまで語られてきたことを否定するわけではありません。そういうイダイケであったかもしれない。しかしそうでないかも知れない。事実は判らないはずです。そういう視点で、ごく当たり前にある可能性の一つをこれから語ってみたいと思います。

     

     イダイケは王妃でした。だからたくさんの人にかしずかれていたかもしれません。しかし王との関係はどうなのでしょう。以前「親鸞会」(チューリップ企画)の作ったアニメビデオを見ました。それには、まるでイダイケがアジャセ出生の秘密を作った張本人の様に描かれていました。自分の立場を守るため、こどもの欲しかったイダイケが王をそそのかし、仙人を殺させた挙句不安になって、今度はこどもを殺そうとする。王は終始翻弄されているものとして描かれているのです。それはあってもおかしくない話で、そこから展開される凡夫の救いとしては納得しやすい物語として仕上げられていました。しかしその根拠はどこにあるのだろうと、深く疑念を感じます。親鸞聖人の「教行信証」によれば、出生の秘密が書かれたお経「涅槃経」にはそんなことは描かれていません。観経疏にもそこまで書かれていません。根拠があるとすればそれを作った人の色眼鏡くらいでしょうか。

    しかしそれと遠からず真宗大谷派の中で語られてきたイダイケ像もまた歪んでいるのではないのかと思います。男性の視点だけで読み解かれてきたのですから、男性というバイアスがかかっていると考えるのが自然なことです。

     絶対的な権力を持った王である夫との力関係の中で、イダイケは王に逆らうことが出来たのでしょうか?まことしやかに語られる「出生の秘密」は、他にも違う説があるくらいです。少なくとも観経には語られていないのです。お経に語られていないことをいつもいつも持ち出して解釈しているのです。そんなに大事なことならお経に語られているはずではないでしょうか?

     それでも、もしその話が本当だったとして、そういう力関係の中で主体的に生きてはいなかったイダイケは王の力に翻弄される存在ではなかったのでしょうか?あとつぎを産むことを第一と考えられる立場でこどもが出来なければさぞかし様々な努力が強いられ,自らしたことでしょう。占いに翻弄されて人殺しまでしてしまう王のもとで…。この物語を聞く人は、まさか本当に仙人が生まれ変わって来たと思いますか?今までその辺が語られることはまず無かった気がしますが。観経疏には仙人殺害の日の夜に懐妊したとあります。妊娠がわかるのはそんな急激なものではありません。そういった中でたまたま身ごもったと考えるのが順当なことです。懐妊の喜びもつかの間、再び占い師の言うことを聞く王の不安から恐ろしい提案がなされるのです。高楼から産み落とせなどと言われ、イダイケはどれほど驚き、悲しんだでしょう。わが身の中にはぐくまれるいのちを抱え、どのような思いで十月十日を過ごしたのでしょうか。しかし自分にとって絶対者である王を殺すかもしれない子を産むことを、望むことが許されるでしょうか?「可」とする以外どのような道があったというのでしょう。イダイケは自身自分の葛藤を押し殺し、理想的な王妃として振る舞ったとも思われます。王の寵愛を受け続けなければならないのですから。いつもいつも傍らに生きる存在「傍生」(畜生)。

    出産は激痛に見舞われ、命に関わる一大事であり、そのただ中にイダイケが自らどのように高楼の窓際に陣取ったというのでしょうか。自らできない場合どうしたのでしょうか。…想像に耐えない、おぞましい、暴力に翻弄された女性の出産光景が現れるのです。真宗大谷派ではこの女性を「子殺しの実行犯」というのです。

     そしてそれはおそらく出産を知らない者だけで行われたのでしょう。なぜなら子どもは胎盤から延びるへそのにつながって生まれ出るのですが、こどもを育てた胎盤は母の体にしばらくはつながったままなのです。宙ぶらりんになれば壮絶な痛みとショックが母と子にあるでしょう。苦しむイダイケを見ていた者は…それは王であったのか、侍女であったのか…あわてて、子どもをたぐり寄せたのかもしれません。それとも、落ちたとすればその胎盤がクッションになって助かったのかもしれません。命のつながった子を抱きしめたイダイケから、その子を取り上げることはもうできなかったでしょう。いずれにせよ母の体はぎりぎりのところで我が子を守ったと言えます。こんなことを考えていると、身の内からこみ上げてくるものがあり、想像に堪えません。イダイケという女性がこんな経験をしたのであれば、本当に痛ましいことです。

    その我が子を抱いたイダイケがその後、王と息子の間にあって、その関係にどれ程配慮し、間を取り持つ努力をしたか想像に難くありません。アジャセもその微妙な空気を感じて成長したことでしょう。それでも息子が40歳になろうとするまでなんとかことなきを得たのです。それをこんなふうに覆された大きな要因はダイバダッタという存在です。加えて世間というものかもしれません。息子は恐ろしいことを実行してしまったのです。イダイケは「恭敬(くぎょう)する」王のためにできるだけのことをしました。身を清め、蜂蜜で練った粉を体に塗り、「瓔珞」の中に葡萄の漿を入れて、看守を欺き牢の中の王のもとへ運んだのです。その三週間はどのような日々であったでしょう。後ほど自ら絶ったその「瓔珞」がこの時そういう形で使われていたことは、ますます「自絶瓔珞」の意味を深いものにしている気がします。

     しかしそれを知った息子は激怒し、母のもとへ駆けつけ髪をつかんで引き回し、母を殺そうと刀を抜いたのです。怒りのかたまりになった男の暴力にどれ程恐ろしい思いをしたでしょう。しかもそれは大切に育てたわが息子です。そのショックたるや想像を絶するものがあります。しかもアジャセが母を殺すのをやめたのは、親子の情ではなく、家臣の、身分の掟を破ることであるという言葉によってなのです。アジャセも完全な身分社会に組み込まれた男としてイダイケの前に立ち現れたのです。三従の女性は夫亡き後は息子の言うことを聞くべきなのです。そのような形で自分の力を使うことは許されないのです。まさに今の主人は息子なのです。従うべきものに従わなかったことは、まさに母でさえ「賊」と呼ぶべきこと。イダイケはそういう世界にいたのです。 

     愁憂憔悴、悲泣雨涙の中にあってさえ、遠慮してお釈迦様ではなくお弟子さんに来て欲しいと言ったのかもしれないが、先の本では「お釈迦様は偉すぎるから、ちょっと慰めてもらうにはいい相手ではない…,お弟子さんにそれを求めた…」と解釈されている。ところがお釈迦様はイダイケの意を汲んで自らイダイケのもとに現れたのです。それはまさに心動かされる出会いだったに違いありません。身分や価値の中に自らを縛り続けた象徴である瓔珞をまず、引きちぎったということがどういうことであったのか、よく感じてみたいものです。

     

    善導大師によってイダイケ像が変わる時、それまで観経で聖道の諸師の説いてきたこととは違ったことが明らかになったのです。であるとすれば、やはりイダイケ像が変わることで,また違ったことが明らかになるのではないでしょうか。

     そして、それはこれまで語られてきたことに一つの位置が与えられるということではないかと思います。女性の視点で観経を読むことによって、その位置を少しでも明らかにできればと思います。                

     

                        (2011.3.11 後藤由美子)

     

     

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